京の大仏 方廣寺 【(勝手に)御朱印de大坂の陣・番外】

日本の首都・京都のスーパー観光地・東山区にあるお寺さん。
秀吉の時代から江戸時代の寛政年間まで、何代にか渡って奈良の大仏さまを越える大きさの大仏及び大仏殿があったとのこと。
さらに、その後は、幕末前夜の天保年間から昭和48年の消失まで、スケールは小さくなったものの大仏(?)さまがあったそうです。
でも、大仏さまはいなくなっても、大仏前交番や郵便局、(大仏さまの)正面通や正面橋など、地名には大仏さまは今でも京の都におわします。

方廣寺 
方廣寺

大坂の陣のきっかけになったと言われる「方廣寺鐘銘事件」。
「国家安康」「君臣豊楽」といったところにイチャモンを付けたとのことですが、あながちイチャモンでもないとの考えもあるようです。
しかし、いずれにせよ、この年の冬から大坂攻めがはじまり、翌年には豊臣家が消滅、このあたりも荒れるにまかせることになってしまったわけです。
このお寺さんが、大坂の陣の始まりであり、終わりの地であったと言えるのかと思います。
問題となった梵鐘は今でも見えるとことでしたが、私が伺った時は、メンテナンス中で鐘楼にシートが被さったままで、その文字は確認できませんでした、残念。

京都豊国神社 
豊国神社(京都)4

大仏殿跡地に明治になってから御遷座した豊国さん、方廣寺とはお隣さんです。
立派な唐門はどう見ても、明治以前のものっぽいですが、どういうことなんだろう?
何度もお参りしたお宮さんで、おそらく一番、御朱印いただいてると思いますが、行く度に疑問が湧いて出てくるところです。



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中村公園

こんにちは。いつもお世話になっております。名古屋産大阪在住のつねまるです。
秀吉は西ばかりを見て、地元に錦を飾ってくれたかなぁ?と、歯噛みする思いですが、名古屋人が一時は天下様となったのは、まあまあ嬉しい、かな?
江戸時代はさておき、明治に復権(?)したのがせめてもの救いかしら。

え。鐘が見えなかったとは、それはえらいときにお越しでしたのね。
れっつりべんじ。済み?


名古屋とばし

つねまるさん。こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。

現在は、尾張中村より南へ3Km、荒子より西へ500mの地に在住、Great Nagoyanです。京都(西院)での在住経験もあり、大阪住まいの生活はうらやましいかぎりです。

古くは源頼朝、そして三英傑を以てしても、一度として政治の中心都市には成りえなかった「名古屋」。まあ全員幼少のころのナゴヤライフは、ろくな扱いをされてなかったことが要因でしょうか。でも、それで良いと思います。

とよくにさんへお参りする際は、かならず方広寺さんの梵鐘を指差し確認するのが、恒例でした。多分次回豊国さん詣でした際は、指差し確認すると思います。
ちょっと前は鐘楼の柵の中も入れたような気がしますが、気のせいですかね。。。
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Author:Great Nagoyan
戦国武将ゆかりのお宮さん、お寺さんを紹介します。
・武将本人をご祭神とするお宮さん
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・合戦場、本陣、首級実検にあったお寺さん 等など
同じようなコンセプトの書籍が出ていますが無関係ですし、パクったつもりもありません。でも、購入してしまったので、その影響が出てないかちょっと心配。

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