善光寺大勧進
方広寺
その昔、大仏があったところ。
今は豊国神社に隣接しています。
方広寺

豊臣秀吉により、奈良よりひと回り大きい大仏と大仏殿が建立されたものの、翌年の大地震により崩壊。
再建に際し、大きさだけでなく、日本最古の仏さまを大仏胎中におさめようとし、善光寺如来を甲斐から京都へ。
移動後、秀吉は体調を崩し、夢の中に善光寺如来が現れ、信濃に帰りたいといったという。
信濃の善光寺へ戻そうと京都から送った翌日、秀吉は死んでしまったとのことです。
方広寺には大阪の陣のきっかけとされるイチャモンの鐘もありますし、阿弥陀ヶ峯の豊国廟もビックリするほど地味です。
徳川の世が終わって多くの時間が過ぎていきましたが、もう少し、太閤さんのご威光を復活させてもよいかと思います。
今は豊国神社に隣接しています。
方広寺

豊臣秀吉により、奈良よりひと回り大きい大仏と大仏殿が建立されたものの、翌年の大地震により崩壊。
再建に際し、大きさだけでなく、日本最古の仏さまを大仏胎中におさめようとし、善光寺如来を甲斐から京都へ。
移動後、秀吉は体調を崩し、夢の中に善光寺如来が現れ、信濃に帰りたいといったという。
信濃の善光寺へ戻そうと京都から送った翌日、秀吉は死んでしまったとのことです。
方広寺には大阪の陣のきっかけとされるイチャモンの鐘もありますし、阿弥陀ヶ峯の豊国廟もビックリするほど地味です。
徳川の世が終わって多くの時間が過ぎていきましたが、もう少し、太閤さんのご威光を復活させてもよいかと思います。
鴨江寺
甚目寺観音
尾張四観音のひとつ。
信長が伊奈波に善光寺本尊を移した数ヶ月後、本能寺の変で討たれ、これを善光寺本尊の怒りを買ったためとおそれた信長の弟・信雄がこの甚目寺に善光寺本尊を移したことで知られています。
なんでも甚目寺は飛鳥時代からの古刹で、ご本尊の聖観音菩薩は、善光寺本尊と同時に日本に伝来したもので、一緒にお祀りすることで怒りをおさめようとしたとのことです。
甚目寺観音

本当に立派なお寺さん。
ご本尊の観音様の横に善光寺如来様もあったような気がしましたが、、、
尾張四観音(笠寺観音・龍泉寺・荒子観音・甚目寺観音)は家康が名古屋城築城の際に鬼門を鎮護するものとしたとされていますが、それ以前にもそれぞれ戦国武将にゆかりある舞台となってます。
信長が伊奈波に善光寺本尊を移した数ヶ月後、本能寺の変で討たれ、これを善光寺本尊の怒りを買ったためとおそれた信長の弟・信雄がこの甚目寺に善光寺本尊を移したことで知られています。
なんでも甚目寺は飛鳥時代からの古刹で、ご本尊の聖観音菩薩は、善光寺本尊と同時に日本に伝来したもので、一緒にお祀りすることで怒りをおさめようとしたとのことです。
甚目寺観音

本当に立派なお寺さん。
ご本尊の観音様の横に善光寺如来様もあったような気がしましたが、、、
尾張四観音(笠寺観音・龍泉寺・荒子観音・甚目寺観音)は家康が名古屋城築城の際に鬼門を鎮護するものとしたとされていますが、それ以前にもそれぞれ戦国武将にゆかりある舞台となってます。